まずは解体作業。
業者さんにお願いする部分を除き、できるところは自分たちで行いました。
と言っても素人ばかりでは危険なので、建築士の友人、以前解体作業をしたことがある友人などなどの力を借りました。
時は京都の底冷えをマックスで感じる2月前半。
マスクと手ぬぐいと厚底の靴、そして軍手で挑む、大量の埃と土にまみれる数日。
鼻の穴まで真っ黒になりながら、みんなでどっかんどっかん破壊していきましたよ~。
か細いのに、見た目よりも重いハンマーを振り回して手際よく進めていきます。
りょうこさんと一緒に土壁を落としていってくれた、ゲストハウス金魚家のもとスタッフゆきちゃん。
得意技は独り言と大き目の鼻歌。
これは二階にあった小さな部屋のひとつの解体途中写真。こんなふうに、土壁の下には竹を格子状に編んだ竹小舞があるんです。
木と土と竹、縄でできている土壁。
昔は家の周囲で手に入るもので当たり前に作っていたのでしょうけれど、今では手間のかかったむしろ贅沢なものと言えるのかもしれません。
ドミトリールームになる予定の部屋は、天井を剥がして梁を見せます。屋根の裏ってこんなんなってるのねー。
休憩中の建築士いわもとくん。ひばりの設計は彼にお任せしました。
真冬に大量の汗をかきながらがつがつ進めてくれた建築士なかむらくん。
このときには二階に部屋はなくなり、柱が立ってるただの広い空間となりました。おぉ~。
もと錺屋の宿直スタッフゆっこちゃんは長身を生かして破壊の限りを尽くしてくれました。破壊王。
一体となってた離れと母屋は、間にあった天井を剥がして再び離れとして残します。
忙しいなか来てくれた写真左ははるちゃんと右は錺屋スタッフそうたくん(見えないけど)の男子にお任せ。
真ん中にいるのは店主けいくんですね。
みんなの助けもあったおかげで、予定日数内で目標としていたところまで進みました。
ありがとう!!!
そして、これは二階の天井裏から出てきた棟札という建築記録として建物の高所に取り付けておく札。
当時の施主、棟梁の名前と建築年月日が記されていました。
それによるとひばりちゃんは昭和8年10月生まれの84歳。
家をずっと見ていた棟札は、この後天井をはった際にそっと戻しておきました。またいつか、ね。