うちによくくるノラ猫がいる。
毛色は白黒。時にはすこし丸く、時にはひどく痩せている、眼光の鋭い猫。
一ヶ月に一、二度顔をだす日がはじまって、もう半年だろうか。
ノラに名前はない。
名前のないこの猫をみるたび、ある物語を思い出します。
あるところに、長生きをしたおばあさんがいました。
いい友だちとたくさんのいい時間を過ごしたが、おばあさんはとても長生きしたので、
友だちはみな先にいなくなってしまった。
名前を呼ぶ友だちがみんないなくなってさびしくなったおばあさんは、自分より長生きするものに名前をつけました。
車、椅子、ベッド、家・・・。
自分より先にいなくならないものたちに名前をつけることで、おばあさんは安心しました。一人でもさびしくはありませんでした。まるでたくさんの友だちに囲まれているように感じていました。
そんなある日、家の前に子犬がやってきました。
お腹をすかせている子犬に、おばあさんはご飯をあげた。
「家へお帰り」といって、賢い犬はどこかへいきました。
次の日も子犬はきて、おばあさんはご飯をあげ、「家へお帰り」といい、また次の日も子犬はきて、ご飯をあげ、「家へお帰り」という。そんな日がしばらく続きました。
おばあさんは、その子犬に名前をつけませんでした。
おばあさんは、自分がその子犬より長生きして、先にいなくなってしまうのが怖かったのです。
子犬はもう子犬とは呼べぬほど大きくなりました。
しかしある日、犬がぱったりこなくなりました。次の日も、おばあさんがいくら待っていても、犬はきません。
いてもたってもいられなくなったおばあさんは、迷子犬を預かる場所へ電話をしました。
「犬の名前は?」と聞かれましたが、おばあさんは答えられません。
なんとかその犬をみつけたとき、おばあさんは気づきました。
名前があるということ。名前をつけるということ。その意味。そしておばあさんは、犬に名前をつけました。
犬の名前は・・・。
「名前をつけるおばあさん」というおはなし。
どんな名前をつけたか気になるという方は、ぜひ本を読んでみてください。
名前をつけるというのは、愛するということ。
この本を思い出すたび、そう思います。
おばあさんは愛するものがいなくなるのが怖かった。だから名前をつけることができなかった。
「耳をすませば」というジブリ映画に、「ムーン」というノラ猫がでてくる。
この猫は他にもいくつか名前をもっていて、ご飯をもらう各家々の人たちが、それぞれ勝手に名前をつけて呼んでいます。
ムーンは愛想のないむすっとした猫ですが、名前の数だけ愛されているようです。
うちは宿なので、毎日いろんな国からくる、いろんな名前の人と出会います。
こんな名前もあるんだな、と知るたび
新しい愛し方を知ったような気がします。
「名は体をあらわす」という言葉がありますが、「体」とは名付けられた方ではなく、名付けたの方の「体」であり、「愛」なのかもしれませんね。
うちによくくるノラ猫。名前はあるかもしれないし、ないかもしれない。
名前をつけようか、どうしようか。
月が巡るたび、私はすこし悩んでいる。