九官鳥な日々

 

 

こんにちは、ひばり店主です。

 

あたたかい日が続いて、京都の桜は満開。

早いもので、もう4月になりました。

 

 

本来は観光シーズン真っ只中な4月も、ひばりは引き続き休館しております。

 

まるで時が止まったよう、、、なんてまったく感じないのは、日々成長してくれる息子のおかげです。

 

1歳半になる息子は簡単な言葉をオウム返しのように話すことができてきて

 

タッチ!と言ったらタッチ!と言って

バイバイ!と言ったらバイバイができて

パパと言ったらパパと言えて

ママと言ってもパパと言う

 

休館中なだけに、「九官鳥(きゅうかんちょう)」と呼ぶにふさわしい時間が流れています。

 

かわいい九官鳥の声に「癒される〜!」のは確かなのですが、効果時間はごく短く

 

寄声で目覚める朝

怒号と共に箸で突かれながら夕飯を食べ

癇癪泣きが館内に響く夜。

 

はい、休館して正解!と思う毎日です。

もし宿泊受付してたら「平旅籠」の「平」は「平謝り」の「平」になるとこでした。

 

<寝顔はめーっちゃかわいいんですけどね、、>

 

こんな感じで今は9割「九官鳥時間」。

 

ではありますが、1割の「ひばり時間」にうれしいことがありました。

2月に関西テレビ「よ〜いドン!」に出させていただきました!

 

 

<妻あこがれの円さんと。>

 

 

よ〜いドンは関西で長らく愛されている午前のお茶の間的番組です。

円広志さんにお越しいただき、毎朝かかさず観ている妻は一番興奮していました。

放送を観てみたら店主はペラペラとしゃべりすぎで、自分にひいてしまいました。

息子が一番冷静でしたね。

 

初めてのテレビ取材が休館中でとても申し訳なかったのですが、このような時に取り上げていただけてとてもうれしかったです。

 

たくさんお問い合わせもいただき、ありがとうございました。

 

まだ引き続き宿泊受付はむずかしいですが、4月から息子も保育園に行くことが決まり

 

また本格的にコーヒー豆の販売に力を入れていくため、焙煎機の購入も決めました。

 

4月中には新しいコーヒーをご紹介できると思いますので、お楽しみいただけましたら幸いです。

 

それでは、どうぞよろしくお願い致します。

 

焙煎、思考の質

 

「山では自分の行為の質が変るように、思考の質も変るのでしょう。」

詩人で哲学者の串田孫一氏が山での思索を書いた随筆集「山のパンセ」の一文です。

 

思考の質を変えてくれるもの。

 

それはときに心地いい風が頭を吹き抜けていくようで

またときに雷に打たれたような衝撃に痺れ

降り続く雨のように心を濡らし

氷雪のように痛く

陽の光のように、あたたかくさせてくれるもの。

 

山に限らずたとえ町であったとしても、そこが旅先なら思考の質は変わります。

なんの変哲もないベッドタウンだろうと、馴染みのない土地では

頭の中には真新しい風が吹き

普段は考えないようなことを考え

書かないようなことを書く

新しい自分の一面が湧き出てきます。

 

そんな行為が好きだから、旅をやめられなくて

それに関わることを仕事に、日常にしたいほどでしたが

旅ができなくなり、旅人を受け入れられなくなって一年が経ち

思考の質がずっと同じで

頭の中で空気が滞留し

そろそろ限界にきていました。

 

それが少し和らぐ時間が、珈琲を飲んだり、豆を焙煎しているときです。

珈琲を味わい、工夫して焙煎し、また味わい

さらに成り立ちや産地や経済システムや植物学を

黙々と山を歩くように調べて

珈琲のことを考えている間は

思考の質が変わったように

新しい風が吹く。そう感じます。

 

長い年月の間、多くの人の体の中に取り込まれ

世界中に広がっていったこの果実の種は

山々のように壮大で

また海のように深く

心地いいものです。

 

宿屋の仕事とはまるで違う行為なのに

どこか似たようなことに感じるのは

きっと、私の「思考の質を変えてくれる」という点で

近しいからなのだと思います。

 

山が好きな人も

海が好きな人も

町が好きな人も

珈琲が好きな人も

 

みんな同じものが好きなのかもしれません。

 

そんなことを考えながら

焙煎をしています。

だれも困らない混沌

 

あけましておめでとうございます!

新年と同時に!というわけではなくちょっと前から変わってたのですが、ホームページを少しリニューアルしました。

開業から3年経ち、すこしずつ店が変化した分だけデザインも変わりました。
言葉も変わってますが、根っこは変わりません。

おいぃ、屋号変わっとるやんけ!と思われたかもしれませんが変わってません。

前もどこかで書きましたが、「本」にみえるこのロゴ文字は「平」の旧字体です。

屋号は変わらず「平旅籠(ひらはたご)」。

本のある宿(旅籠)やから本旅籠(ほんはたご)でも別に間違ってはないので、お電話で「本旅籠ですか?」と聞かれたら「はい!」って元気よく返事します。

こちらからのお電話はもちろん「平旅籠ひばりです。」と言います

「ヒラハタゴヒバリです。」すら一回で聞き取ってもらえない日がはじまって早3年、さらに難易度が上がりました。

わかりやすさ推奨社会にドロップキック。

ややこしい!でも世の中はもっと混沌としています。
うちの屋号レベルのカオスはかわいいもんです。

観光地でもない場所で
わかりにくい店名で
混沌推奨思考の店主が

平凡に、平穏に、ときどき昼から地面と平行になりながらお待ちしております。

平々本々 HeyHeyBonBon

というわけで(どういうわけで?)

本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

2020年のおわりに

 

旅先でみる日常が好きです。

 

平凡なアパートや電柱の貼り紙すらおもしろく

 

公園を散歩したり本屋をのぞいたり、スーパーマーケットをぶらつくだけで満ち足りた気分になれる。

 

自分の生活圏にはない、旅先で暮らす人たちの中にある日常を垣間見たい。

 

それが旅をしたい欲求にかられる理由のひとつです。

民宿やホステル・ゲストハウススタイルの宿のいいところは、生活の延長に近い形であることだと思います。

 

大きなホステルはビルみたいな建物ですが、ふつうの家を改装してるところもたくさんあり

 

僕は特に外国の日常をみるのが好きだったので、自分も外国の人たちがこの国の日常を感じられるような、家のような宿をやりたいと思いひばりをつくりました。

 

日常の中の非日常を求める人たちが来ることができなくなってから、もうすぐ一年が経とうとしています。

 

宿は遠い場所にいる方々のための店であり、近くに住む方々のお役にはあまり立てないスタイルであるにもかかわらず、今年は近所の方々に本当にたくさんお世話になりました。

 

これまでの日常がどれだけの人たちの支えで成り立っていたのかを気づかされた一年であり

またいまの非日常をどれだけの人がギリギリのところで支えているかを思う一年でした。

 

これまでも、そしていまも感謝しかありません。本当にありがとうございます。

日常はいつもどるのか、だれにもわかりません。

 

いまの非日常がしばらく続いて、いつの日かそのまま日常となっていくのかもしれません。

 

日常がゆるやかに変化するように、ひばりもすこしずつ変わっていくかもしれませんが

 

中身はきっとなにも変わりません。

 

運営する僕自身はなにも変わりません。

 

こんな状況になってもやっぱり旅が好きだし

 

幕府の目を盗んで京都に潜入してた幕末の維新志士たちも、案外こんな状況だったのかもしれないなぁなんて思って

 

だれにも迷惑かけずに旅を楽しむ方法ってないかなと考えたり、なんだかんだ楽しんでいます。

 

旅先の日常をみる目で、近所の非日常をみて

 

おもしろおかしく、ひとにやさしく、健康第一でこれまで通りやっていきたいと思います。

 

2021年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

それではみなさま、よいお年を。

 

平旅籠ひばり Hibari Hostel & Books

鎌塚 慶一郎

花と珈琲

 

昨年の10月、子どもが生まれるのと同時に珈琲豆の焙煎をはじめて

 

今年の3月、はじめて対価をもらって珈琲豆を販売しました。

 

「山」・「谷」と題した、2種類だけだった珈琲豆はいまは8種類になり

 

この12月は新作の珈琲豆「花」のリリース記念に、「花と珈琲」という珈琲豆と花束のセットの予約販売を行いました。

 

いま、その準備の真っ最中です。

 

 

花に触れる機会が増え、花のことを考える時間も増え、花のもつ力というものを実感する毎日です。

 

『祝いの時も不幸の時も贈ることができるのは「生花」と「フルーツ」だけ。』という文章を読み、

そういうものを扱う仕事は素晴らしくいいな、とうらやましく思いました。

珈琲豆も果実といえば果実ですが、ちょっと違いますよね。

 

 

いつから珈琲を好きになったのか、よく覚えていません。

 

いつの間にか人の庭に勝手に居着いたノラ猫みたいに

 

気づけば日常に溶け込んでいました。

 

どうして好きなのかも、よくわかりません。

 

地球にはじめてきた宇宙人に、なにか美味しい飲み物ちょうだい

 

と言われて珈琲出したら、殴られるかもよ?

 

とある有名な焙煎士の方が仰られていましたが、僕もそう思います。

 

生搾りオレンジジュースの方がいいでしょう。

 

そう思いながら、僕は毎朝珈琲を飲みます。

 

飲まない日は非日常と言えるほど、僕の日常に溶け込んだ珈琲。

 

 

 

先月、11月の終わり。母方の祖母が末期の肝臓がんであることを知らされました。

 

もう年は越せないかもしれないと言われ、翌週の12月はじめに1歳の息子を抱え2人で会いにいきました。

 

1日中眠って意識がない日もあるから、来てもらっても徒労に終わるかもかもしれないとのことでしたが

 

子どもが生まれてまもなく、世の中はこんな状況になって

 

祖母は施設に入っていたため面会制限があり、一度も会わせる機会がありませんでした。

 

緩和ケア病棟に移ったいま、1日3名まで。時間は30分。それが僕たちに与えられた最後の機会でした。

 

ほとんど眠っていましたがほんの少しだけ起きて、息子の顔をみてはっきり「かわいい」と言って、笑顔をみせてくれました。

 

用意した花束を見れたかはわかりませんが、殺風景だった病室に彩りが加わりました。

次に起きたとき気づいてもらえるよう、ベッドの隣に花を置き、家路に着いて

 

僕はその日の朝も珈琲を飲み

 

帰宅してからも珈琲を飲みました。

 

味は変わらない。

 

 

 

そして3日前、祖母は亡くなりました。

 

急きょ店を閉め、家族で実家へ。

 

親族だけのささやかな葬儀の中

 

僕は祖母を包む花々を美しいと思い

 

通夜が明けた朝も珈琲を飲んでおいしいと思い

 

葬儀が終わり京都に戻って、花と珈琲を用意する準備をしながら

 

 

花を美しい、珈琲をおいしいと思えるうちは

 

僕は大丈夫だろう、と思いました。

 

そんな風に人々の日常に溶け込み支えているものは、きっとたくさんあります。

 

それは家の灯りだったり

 

カレーの匂いだったり

 

猫のお腹だったり

 

 

そういうものがひとつでも残っていれば、前を向いて生きていける。そんな気がします。

 

この珈琲豆もいつか、誰かにとってありふれた日常のひとつになれるよう

 

祝いのときも不幸のときも、変わらず飲めるものであれるよう

 

からだが動く限り、つくり続けたいと思います。

 

自分と、家族のために。

 

 

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